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み言葉のいづみ

十字架を決して忘れない

2010-03-01
千代崎 備道

  私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生
 
きておられるのです。いま私が肉にあって生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神
 
の御子を信じる信仰によっているのです。
 
  私は神の恵みを無にはしません。もし義が律法によって得られるとしたら、それこそキリストの死は無意味
 
です。
 
(ガラテヤ2章20節~21節)
 
  パウロはガラテヤのクリスチャンたちに、十字架による救いの大切さを必死で訴えています。彼らがそれを
 
  忘れかけていたからです。「十字架につけられたイエス・キリストが、あなたがたの目の前に、あんなにはっきり
 
示されたのに、だれがあなたがたを迷わせたのですか」 (ガラテヤ3章1節)。
  パウロはガラテヤ地方に宣教したとき、何度も繰り返して十字架の話をしたのです。聞いていた人々は目の
前に十字架が見えるほどだったのでしょう。聞き飽きたと思う人がいたかもしれません。
  しかし、十字架を忘れた時、彼らは律法主義に陥りました。信仰による救いではなく、行いによる救いという
間違った教えに染まって行ったのです。もしパウロが彼らの目の前に描いた十字架の姿を覚えていたら、もしそ
の十字架でイエス様が命を賭けて救いの道を開いてくださったことを忘れていなかったら、間違った教えに惑わ
されることはなかったはずです。
  私たちは十字架の恵みを忘れてはいないでしょうか。私たちが救われたのは、良いことをしたとか自分が偉い
からではなく、徹頭徹尾、恵みによるのであり、十字架の贖いによるのです。十字架を目の前に見ていないと
き、不満や不信仰に陥ってしまいがちです。
  今年も十字架と復活を覚える季節となりました。またこの時季だけでなく、十字架のメッセージは毎週のよう
に語られます。それは、決して忘れてはならない大切なことだからです。 パウロのように、キリストとともに十
字架に死に、キリストの命に生きるために、今年も十字架の恵みを確認し、感謝しましょう。
  しかし私には、私たちの主イエス・キリストの十字架以外に誇りとするものが決してあってはなりません。
この十字架によって、世界は私に対して十字架につけられ、私も世界に対して十字架につけられたのです。
 
(ガラテヤ6章14節)
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