み言葉のいづみ
栄光へと変えられる
2014-01-01
千代崎 備道
栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。
(第二コリント三章18節)
聖書は私たちに、栄光に満ちた神様を顕しています。天地万物を創造され、歴史を計画し、世界を治めてお
られる主なる神です。神様の栄光はあまりにも偉大で、太陽の光のように、近づくことも出来ないほどです。と
ころが、その神様が、私たちをも栄光へと変えて下さるとは、驚くべきことではないでしょうか。今年は、皆様と
一緒に、栄光と変えられるということを学び、考え、体験させていただきたいと願っています。
神様は人間を「神のかたち」として造られたと創世記は告げています。それは、神様の栄光を反映する存在
として生きるためです。クリスチャンは、キリストと似た者になることが目的であるとパウロは教えています。一
人一人に与えられている賜物や恵みが発揮されると、キリストの素晴らしさが私たちを通して表されるのです。
しかし、私たちが表すべき栄光は、必ずしも素晴らしいことや良いことばかりではありません。私たちは様々な
ことで悩んだり苦しんだりします。しかし、その苦難の中で神様に祈り、平安が与えられる。神様から時にかな
った恵みが与えられることに気がつき、感謝と賛美が生まれる。それは、クリスチャンだからこそ起こることです。
苦しみや悲しみの中でも、平安や感謝があふれ出たり、滲み出てくる。それはキリストが私たちと共にいてくださ
る証拠であり、主の栄光が私たちを通して示されているのです。これこそ、キリスト者の栄光です。
もちろん、それが出来ないこともあります。自分はまだまだ未熟なクリスチャンだと、誰もが感じることがあるの
ではないでしょうか。しかし、聖霊なる神様が私たちの内にいてくださり、失敗しても忍耐をもって導いてくださ
り分からないことを時間をかけて、経験を通して教えてくださいます。そして、少しずつでも考え方が変えられ、信仰が成長し、いつの日か、イエス様の似姿へと一歩近づいている。私たちのような弱い存在を造り変えてくだ
さることがお出来になる。それが神様が行ってくださる栄光の働きです。
最初から栄光に満ちたクリスチャンはいません。だからこそ、神様は私たちを栄光へと造り変えて、神様の栄
光を現したいとお考えなのです。栄光など私には無理だと思っている人をこそ、神様は求めておられるのです。
