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み言葉のいづみ

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幻を掲げつつ歩もう

2010-02-01
千代崎 備道

    どうか、あなたの光とまことを送り、私を導いてください。
 あなたの聖なる山、あなたのお住まいに向かってそれらが、私を連れて行きますように。
 
(詩篇43章3節)
     幻がなければ、民はほしいままにふるまう。
     しかし律法を守る者は幸いである。
 
(箴言29章18節)
 
  私は考え事をしながら歩くときは、気が付くと、たいてい下を見ながら歩いています。自分
の足下さえ見ていれば、躓くことはないからです。しかし、周りの様子を見ていないため、引
っ越して来て最初の頃は、間違った道に入ってしまうこともありました。また、自転車が遠く
から近づいてくることに気が付かないで、突然に目の前に現れて、びっくりするときがありま
す。しっかりと前を見ることを忘れると危ないです。進行方向を見ながら歩くなら、足取りも
ふらつきません。
  人生において、小さな失敗をしないために足下の問題だけを見て生きていると、生きる目的
を忘れてしまいます。高い目標を持たないと、成長のない生き方に満足しがちです。その目標
は、自分の願いではなく、神様の示してくださるものでなければなりません。神様が示してく
ださる光を見上げて歩むことが、天国への道だからです。それが神様からのビジョン(幻)で
す。
  箴言29章18節の言葉は、古い英訳では「幻無き民は滅びる」とされています(英欽定
訳)。神様からの幻を持たないと、人間は自分の好き勝手に歩みたがり、その結果、滅びの道
を進んでしまいます。また、足下だけに目を向けているなら、大切なことを忘れ、小さな問題
に思い煩ってしまいます。しかし、しっかりとした目標を持つなら、小さな問題や困難も乗り
越えることができます。
  一人一人の人生も、また教会の歴史も、神の言葉による幻(旧約聖書では幻や夢は預言と同
じ意味で使われます)をしっかりと掲げて歩むなら、ふらつくことは無くなります。幻を見上
げつつ、足下にも気を配りつつ、御心に沿った道を歩みましょう。
神は言われる。終わりの日に、わたしの霊をすべての人に注ぐ。すると、あなたがたの息子
や娘は預言し、青年は幻を見、老人は夢を見る。(使徒2章17節)

教会の幻を見よう

2010-01-01
千代崎 備道

    その後、わたしは、わたしの霊をすべての人に注ぐ。
あなたがたの息子や娘は預言し、年寄りは夢を見、若い男は幻を見る。
    その日、わたしは、しもべにも、はしためにも、たしの霊を注ぐ。
ヨエル書 2章28~29節
 
  預言者ヨエルは、御言葉に従わなかったイスラエル王国が、神のさばきとして敵国に攻めら
れて滅びることを預言しました。しかし、彼はさばきとともに、その後に来る救いの日を描き
ました。その日、すなわち救いの日が来たならば、捕囚により受けた傷が癒されるだけでな
く、神様が共にいて下さるようになる。その証拠として神の霊がすべての人に注がれる、と語
ったのが冒頭の聖句です。
  聖霊が注がれるとき、老若男女、誰もが幻をみるとヨエルは語りました。旧約聖書ではしば
しば、預言と幻を同じ意味で使います。夢も神様のご計画を知らせるために用いられました。
方法は様々ですが、御霊なる神は私たちに神様の御心を教えてくださるお方です。聖書を書か
せたのも聖霊です。だから私たちには聖書を用いて御心を示してくださいます。
  神様は私たちにも聖霊を与え、救ってくださいました。そして、神を信じる者たちを用い、さらに救いの御業を進められます。そのご計画を私たちに示し、正しい方向へと導いてくださ
る。それが神からの幻(ビジョン)です。この幻を見上げつつ教会の働きを進めていくとき、神様が私たちのうちに豊かに働いてくださるのです。
  今年は、池の上キリスト教会の創立五十周年です。過去を振り返って恵みに感謝すると共に、新しい50年
 
に向かってスタートする年としていただくために、神様が示してくださる方向性(ビジョン)を示していただきたい。
 
その願いを込めて、今年の教会標語を「教会の幻を見よう」といたしました。神様が山根可弌先生を用いて教会
 
を建てられたとき、誰が今日の姿を予想したでしょうか。でも、神様はさらに素晴らしい計画を立てておられま
 
す。教会の未来を夢見つつ、神からの幻を見せていただきましょう。また、一人一人にも神様はご計画を持っ
 
て導いておられます。その神様からの夢を見せていただき、希望を抱いて進みましょう。

人となられた御言葉

2009-12-01
千代崎 備道

初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。
この方は、初めに神とともにおられた。
すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは
一つもない。
この方にいのちがあった。このいのちは人の光であった。
  ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもと
から来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。
(ヨハネ1章 1節~4節・14節)
 
  神様は御言葉により天地を創造され、御言葉により人との関係を築かれました。預言者たちに御言葉を伝え
 
させ、王を立て、歴史を導かれました。人々も神に真実な御言葉に信頼し、救いを経験し、信仰が養われまし
 
た。ついに、神様は「ことば」と呼ばれ、御子であるお方を世に遣わし、私たちの救い主とされたのです。それ
 
が、クリスマスです。
 
  マタイやルカがクリスマスの事実を報告したのに対し、ヨハネの福音書の冒頭は、クリスマスの深い意味を教
 
えています。
 
「しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えに
 
なった。」(12節) この尊い御言葉であるお方を王として心にお迎えするなら、私たちも神の家族としていただ
 
ける、なんという特権でしょうか。この恵みを知るならば、他の楽しいことや嬉しいことは霞んでしまうほどです。
 
最高の素晴らしい祝福を、あなたに。そして、あなたの周りの人々にもお伝えできますように。

  今年、池の上キリスト教会は、島津先生を通して神様が示してくださった御言葉(エレミヤ15章・16節)に基づ
 
き、『み言葉に聴き、喜びに生きる』という標語を掲げて進んでまいりました。み言葉に聴くことは、何よりイエ
 
ス・キリスト様を心に主としてお迎えすることから始まります。一年の終わりを迎え、またクリスマスの良い季節
 
に際し、もう一度、私たちの救い主であり、教会の主であるこのお方を仰ぎつつ、これからも聖書の言葉に親し
 
んでまいりましょう。そこに変わることの無い喜びがあるからです。

神の口から出る御言葉

2009-11-01
千代崎 備道

イエスは答えて言われた。「『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つの
ことばによる』と書いてある。」
(マタイ4章 4節)
それで主は、あなたを苦しめ、飢えさせて、あなたも知らず、あなたの先祖たちも知らなかったマナを食べさせら
れた。それは、人はパンだけで生きるのではない、人は主の口から出るすべてのもので生きる、ということを、あ
 
なたにわからせるためであった。
(申命記8章 3節)
 
  本屋に行きますと、普通の書籍と一緒に聖書は売られています。漁師、王、学者、様々な人々により書かれ
 
た言葉を集めた書物です。その意味では、聖書の言葉は確かに人間の書いたものです。ところが、この言葉
 
を読んだ人が、それを神からの言葉として受け止めたとき、不思議な事が始まります。一つの御言葉が心に迫
 
ってきます。罪を示され、悔い改めに導かれます。そして同じ聖書を通してイエス・キリストに出会い、罪の赦し
 
を体験し、救われるのです。聖書は私たちの思いを変え、心を変え、生き方までも造りかえます。そして、自分
 
の人生や周囲の人にまで大きな影響を与えるのです。その時、私たちは聖書こそ神の言葉であることを認め
 
るのです。
 
  神様は言葉により天地を創造されました(創世記1・3)。また「神のことば」(ヨハネ1・14)と言われるお方が
 
救い主をして来てくださいました。ですから、神の言葉である聖書は、私たちを救い、造りかえることができるの
 
です。この神の言葉が私たちの生活の中で、どのようにその力を発揮するのでしょうか。
 
  クリスチャンになって聖書を読むようになると、宗教とは無関係と思っていた生活の隅々まで、御言葉が心の
 
指針となるようになります。すなわち、神の言葉の権威を認めるようになるのです。そして、日々、御言葉に導
 
かれ、教えられ、恵みをいただきます。その結果、私たちの信仰は強められ、成長し、言葉や行いまでもが変
 
わっていきます。御言葉は私たちを養う心の糧(パン)となります。
 
  荒野を旅していたイスラエルの民を神様は天からのパン(マナ)で養われました。その旅路は苦難がありまし
 
た。人間の罪の故です。しかし、神様は毎日マナを与え、御言葉が真実であることを教えられました。そうして、彼らは神の民として成長したのです。私たちも、様々な苦難に見舞われることがあっても、神様からの糧をいた
 
だきながら人生の旅路を歩みましょう。

御言葉を友とする

2009-10-01
千代崎 備道

  「まことに、あなたのさとしは私の喜び、私の相談相手です。」

                              (詩篇119編 24章)
 
  詩篇119篇は、大変ユニークな詩篇です。最初の8節は、節の最初の文字がヘブル語の
アルファベットの1番目「アレフ」で始まり、次の8節の各行は2番目の「ベス」で始まる、というアルファベット詩、日本のいろは歌のように作られた、芸術的な詩です。また、最も
長い詩篇であり、さらに、ほとんど全ての節に御言葉に関することが書かれているのが特徴
です。
  1節ごとに神の言葉の素晴らしさ、大切さを、様々な表現で教えています。「みおしえ、
さとし、道、おおせ」などは皆、神様の言葉を意味します。また、旧約時代の人にとっては
律法が聖書の代名詞でしたので、「おきて、戒め、定め」などの言葉も御言葉の意味で使わ
れています。
  この詩篇を作った詩人は、御言葉(あなたのさとし)を喜びとし、また相談相手としまし
た。まるで無二の親友のようです。98節は口語訳聖書では「あなたの戒め(御言葉)は常
にわたしと共にある」と訳されています。悩みの時、苦しみの時に、慰めや励ましを与えて
くれる御言葉は、「苦しいときの友、真の友」です。
  世の中には言葉巧みに近づいてきて、友人のふりをして騙したり利用したりする者もいま
す。真の友である御言葉は、最初は取っつきにくいですが、どんなときも裏切らない、真実
な言葉で語りかけてくれます。時には、苦言もって忠告してくれるのも、本当の友だからで
す。行くべき道に迷ったときに、正しい生き方を諭してくれる、良き相談相手なのです。
  旅は道連れと言いますが、人生の旅路において、聖書と共に歩む人は幸いです。毎日少し
ずつでも、御言葉に触れる生活を心がけてください。「朱に交われば赤くなる」と格言は教
えますが、良い友と交わるならば良い影響を受けます。神の言葉を大切な友として歩むなら、御言葉によって生き方が変えられ、やがて他の人を慰め励ます言葉を語る者となり、良き相
談相手となるのです。神の言葉を喜び、いつも語り合いましょう。
  「まことに、その人は主のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ。」
                                      (詩篇1章2節)
宗教法人日本ホーリネス教団
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