み言葉のいづみ
主は今も働いておられる
2015-12-01
千代崎 備道
イエスは彼らに答えられた。「わたしの父は今に至るまで働いておられます。
ですからわたしも働いているのです。」
ですからわたしも働いているのです。」
(ヨハネの福音書五章17節)
福音書の中で度々、イエス様と敵対する者たちとが安息日に関して論争しています。律法
学者たちは安息日を労働禁止と理解し、良い働きさえも禁じました。イエス様は父なる神の
御心を実行し、良い働きを続けました。
創世記二章で神様が「休まれた」と書かれているのは、天地創造の御業を終えられたこと
を述べているのであり、創造後の世界を保持する働きは続けておられるのです。もし神様が
何もなさらなかったら、世界は秩序を失い崩壊してしまいます。聖書は「安息日を聖とせよ」
と命じています。ですから単なる「休養日」なのではなく、聖なる日として神様にお捧げし、御旨に従う日です。ですから私たちも聖日には礼拝を捧げ、主に仕え、主の御言葉に従って
新しい一週間をスタートするのです。
父なる神が今も働いておられ、世界を治め、保っておられるように、キリストも教会の主
として私たちを守り、導き続けておられます。私たちが信仰を持って生活しているのも、信
仰が弱った時も主の憐れみにより支えられているのも、主が今も働いておられるからです。
「イスラエルを守るお方はまどろむこともなく、眠ることもない」(詩篇百二十一篇)と言
われるように、私たちが倒れているのに気が付かないで眠っているようなお方でも、また
「今日は休みだから助けない」と言うようなお方でもないのです。このお方を主と仰ぎ、お頼りするからこそ、安心して休息を取り、行き詰まりの中でも祈りつつ歩むことが出来る
のです。
私たちが日々の生活を営み、信仰によって歩み続けていること自体が、神が今も、そして
私の中にも働いていてくださる証しです。自分の力で何でも出来ていると自己過信する時は、生きておられる主を知ることは出来ません。謙って主の助けを憶え、恵みを数え上げるとき、主が私のために働いておられることを知るのです。また、行き詰まって、あるいは倒れたと
き、自分や周りを見て愚痴や絶望を述べるのではなく、主を仰いで助けを祈る時、そのよう
に祈ることが出来ること自体が、既に主が私を助けていてくださるのだという証しなのです。
今年一年のお守りを感謝し、来年も主を信頼して歩みましょう。
