み言葉のいづみ
神のみこころに添った悲しみと世の悲しみ
2008-02-01
島津 吉成
あの手紙によってあなたがたを悲しませたけれども、私はそれを悔いていません。あの手紙がしばらくの間
であったにしろあなたがたを悲しませたのを見て、悔いたけれども、今は喜んでいます。あなたがたが悲しん
だからではなく、あなたがたが悲しんで悔い改めたからです。
あなたがたは神のみこころに添って悲しんだので、私たちのために何の害も受けなかったのです。
神のみこころに添った悲しみは、悔いのない、救いに至る悔い改めを生じさせますが、世の悲しみは死をもた
らします。
ご覧なさい。神のみこころに添ったその悲しみが、あなたがたのうちに、どれほどの熱心を起こさせたことで
しょう。
コリント第2 7章8~11節
コリントの教会は、正しい信仰のあり方から外れ、また教会員の中にまで罪が入り込んでいる、という状態に
陥っていました。そのことで心を痛めた使徒パウロは、コリントの教会に宛てて手紙を書きます。それが、コリン
ト人への第一の手紙です。しかし、この手紙だけでは、コリントの教会の人々は正しい信仰に立ち戻ることがで
きなかったようです。そこで、パウロは、現在は失われている「悲しみの手紙」と呼ばれる手紙を書きました。
この手紙を読んだコリントの教会の人々は、ようやく自分たちの間違いに気づき、罪を悔い改め、正しい信仰
生活に戻ることができたようです。その知らせを聞いたパウロは、心から喜び、もう一通の手紙を書きました。
それが、コリント人への第二の手紙と呼ばれている、この手紙です。
その中でパウロは、「神のみこころに添った悲しみ」と「世の悲しみ」ということを言っています。「世の悲しみ」
とは、いわゆる「後悔」ということです。後悔は後ろ向きです。どんなに後悔しても、そこには救いはありません。
だから、死をもたらすのです。それに対して、「神のみこころに添った悲しみ」とは、「悔い改め」のことです。悔い
改めは、「向きを変える」という意味です。犯した過ちを悔いたあと、向きを変えて、十字架を見上げるのです。
そこには、罪の贖いがあり、赦しがあります。ですから人は、十字架の恵みによって赦された者として、再び立
ち上がることができるのです。
もう一度、やり直すことができる。年齢を問わず、状況を問わず、どんな人であっても。ここに、主イエスが与え
てくださった救いの恵みがあるのです。
